今日は、新月ですね。 目には見えないけれど、ちゃんとある「新月」 サロンでは、そんな新月の日にふさわしい、 目に見えない世界のお勉強会をしていました。 遠いところから、講師として来てくださった方。 2時間半あまりのお話しの間に、たくさんの「幸せの法則」をプチ悟りしました。それは、話の直接的な内容からもありますが、そうでないところで、たくさん見つけました☆ 空間には、話す人、聞く人がいます。 当然、話し方、聞き方があるのですが、人生において「幸せを呼ぶ」聞き方があるのです。 みんな、幸せを求めているはずなのに、追えば追うほど去っていく・・・・みたいな 笑 聞き方もある・・・・・ 幸せは目に見えない光の玉に例えましょう・・・・ その玉は、平等に一人ひとりの目の前まで転がってくるのです。間違いなく平等に。 それを、そのまま受け取っている人もいれば、(素直ねぇ) 転がっていることに気づかず、手を出さないひともいれば(もったいない!!!;) 自分の前で消滅させてしまう人もいれば、(あら????) 大きな玉に増幅させて話す人にも「幸せの玉」を与えている人もいるのです。(偉いねぇ) その人は、そのうち「幸せのキャッチボール」みたいなものをやり始めます。 お互いが、お互いの存在を通して、オーラがいっぱいに輝き始め 話す人の才能を引き出していく・・・・。要するに、必要な人、役立つ人になっていく・・・。 その様子が面白くて・・・。(ちゃんと、話しも聞いていましたよ 笑) そして、どんな理由がその違いを生み出すのかな・・・・と、見ていたのですが、 それは、単純に、その人の「意識」と「表現力」です。 私たちは「人間」やっている以上、その二つを十分に使う必要があって、 そこには、生きる「意味」みたいなものが、流れているようにも感じます。 昔の人はそれを「徳」とか「徳積み」と言ったのかもしれない。 世界中の人たちに、幸せの時間が訪れますように・・・・・・・。
うーちゃんの具合が悪くなりました。これで1週間。 生まれたばかりの、うーちゃんが私の元にやってきたのは、3年前。 いろいろな事情の中で、やってきたのですが かわいさよりも、不安の方が大きかったですね。 いきものを飼うことを経験しているからこそ 責任の方が、私には重かったのです。 何日も家を空けるときはどうするの?とか・・・・。 飼うということは、彼女(メスです笑)の人生と関わるということ。 食物連鎖の底辺にいるうさぎは、もともと弱いのに ペットならなおさらのこと、与えられなければ死にます。 自分は与え続けることができるのか、 最後まで、自分が責任をもって関われるのかどうか、不安でした。 同じようなことが、オーラソーマコースにもあります。 多くの人は、ティーチャーとしてコース開催を行っていくのですが、 9年の間、私のモチベーションはそこには全く動きませんでした。 プラクティショナーを育てるだけでなく、その人達が、社会で活躍できるまでサポートを していくのがオーラソーマコースなのですが、 自分の中には全くビジョンがありませんでした。 ビジョンの無いところには、動きようがない・・・というところでしょうか。 コースのオーガナイズには心ときめき、数年間、行いました。 それは、オーラソーマの本質を多くの人に伝えたい思いが強かったから。 でもそれは、「先生」になるよりは、一人ひとりとしっかり関わり、生み出したいものがある、 それが、社会に向けても多くのものを生み出せる、そう思っていたからです。 オーラソーマは、知識を入れるよりも、人生を生きることで その本質を理解していけるもの。そう強く思うからです。 すると、先日、同じ想いの人にお会いしました。 妙に嬉しかったですね・・・・。 そして、不思議と、ふっと、自分に今までになかったビジョンが生まれました。 どちらも、縁あって私の元に。 新しいビジョンに向かって、新しい責任と共に関わっていく時間が始まったように思います。 皆さんは、どんなビジョンを描いていますか?
今回、東京へ行くのにJRを使いました。 富山駅にチケットを購入しにいったのですが、いつも思うこと。 みどりの窓口、間際のチケットを購入する人も、1週間後のチケットを購入する人も同じ列です。 ギリギリの人、いつもかわいそう・・・と思います。 いくら、田舎の駅とは言え、何とかできないのでしょうかね。 そして、今回は、「研修中」とバッジをつけた方が対応してくださったのですが、 いつもは、向こうから確認の声をかけてくださって、スムーズな購入ですが 今回は、その声かけが無くて、ついつい、こちらも伝え忘れ、 たどたどしい機械操作でようやく発券したものを 再発券にしてしまうことになり、すっごく時間がかかってしまいました。 で、さらに、越後湯沢で乗り替えしようと思ったときに判明したこと。 はくたかが、12:03に到着するのに、接続の新幹線は16:02出発になっている・・・・ え~ーーーーっ? 前代未聞の出来事でした☆ 今まであり得ないことだから、確認もしてませんでした。 確かに 行きの富山駅9:50分の電車に接続できる普通列車を訪ねたら 大門駅 6時何分とか言われて、?????でしたが 24時表示が理解できていないのかしら・・・・・ 何でも、育つには時間がかかるものです。 経験を積まなければ、進めないこともありますから。 それをじっと見守る根気もなければ、育てられませんね。
子育てのおかげで、ずいぶん、根気は育ちました。 入院中、掃除、洗濯を人にお願いしていたことがあって、 そのおかげで、至らないことを黙って見守る根気も育ちました。 でも、限界もありますね・・・・。 根気が切れる前に、育って欲しい・・・ 最近、よく思います。
律動の月 <平等 組織する つり合わせる> すべての人に平等に与えられるものは、チャンスだということ。 健康を願えば、健康が与えられるのではなく、健康を創るチャンスを。 平和を願えば、平和が与えられるのではなく、平和を生み出すチャンスを。 愛を願えば、愛が与えられるのではなく、愛を与えるチャンスを。 人生ってそんなものだと、最近つくづく思うのです。 そして、平等なはずの人生に大きな違いが生まれるとしたら、 そのチャンスに対しての努力の仕方の違いだったり 与えられたものに満足する心の違いだったりするのかもしれない。 先日、ある方とお話ししていて、 「棚ぼたの人生に見える人ほど、誰よりも惜しみない努力をしていたりする・・・」と おっしゃっていました。 棚ぼたを得るには、棚ぼたを得るための行いが必要・・・ということなのでしょうね。 私たちは、ついつい、できるだけ努力無しで何かを得ようとする癖がついていて、 いつまでも、そんな未熟な心を持ったまま、大人になっている・・・。 すべての存在に平等に与えられているリズム 大切に増幅させていきたいですね。
昨日は、いつもお世話になっているフレーズの長谷川さんと いろいろなお話しをさせていただいていました。 コムクレープは5年になるとか。 早いですね・・・人のって。 決して順風満帆ではなかったと、トヤマグにも書いていらっしゃるように それはそれは、努力、努力の時間だったのだと思います。 お会いするたびに、新しいクレープの構想をお話ししてくださいます。笑 私たちは、機械文明に慣れてしまって、簡単にできることが「いいこと」という価値観を 頭のどこかに、持ってしまい、時間をかけて、とか、努力して、とか、苦労してという 時間がダメなことという感覚に陥ってしまっています。 コンビニに行けば思いついたときに物が手にはいるし、 待つ、とか、我慢する、とか、創る、とかいう感覚は薄れてしまっています。 努力して、苦労して何かを成し遂げていくという感覚もありません。 欲しいものが手に入らないのは、社会のせい、会社のせい、環境のせい、誰かのせい・・・・ それは、巷を騒がせる事件の犯人に共通して現れている「意識」 だから、多くの人が犯罪予備軍だと思うのです。 先日、サッカーの岡田監督がおっしゃっていました。 「これから生き残れるかどうかは「どん底を知っているか否か」ではないでしょうか。」 いち早くどん底を知ったもの勝ち・・・といったところでしょうか。 むやみやたらに、中途半端に救済を求めない、与えないというところでしょうか。 5125年続いた物質文明が終わります。 あったものが無くなる・・・それは当たり前です。 そこに価値を見出している以上、平安はありませんね。 ホゼ・アグエイアス博士の言葉です。 ゲームオーバーなのです。システムは崩壊し、損害が回復する見込みはありません。 古い秩序を救済することなど忘れましょう。 全霊を込めて、新しいステージのために身をささげましょう! 神なのか、何なのかわかりませんが、宇宙の果てに私たちの起源があって、 その存在が、ずれた価値基準をもってしまった私たちに与える試練 それは「たたかい」の時間ではなく 「あ・たたかい」として受け取ることなのだと。 もう、守るものは個人的なものでなく、 社会に、地球に、身を捧げていくときなのだと。 ホゼの言うように、全霊を込めて。 それが、結果、個人を守ることになるのだと。 順番を間違えないように・・・・ 誰かがそうつぶやいていた。