私が大好きな花の一つ、水仙。 25年以上は経つと思うのですが 10個の球根を庭に植えて数年、花を楽しんでいました。 母が亡くなってからは、ちょうど命日のあたりに花を咲かせるので 祥月命日には、切り花にしてお供えしたりしていましたが そのうち、さすがに球根も弱ってしまったようで 今は花を付けなくなっていました。 それが、今年。 一輪だけ、花が咲きました。 不思議ですね!!!! 25年以上経つ球根のどこにそんな力があったのでしょうか。。。。 20年ぶりに甦った水仙。 自然の生命力は凄いですね。 今年は寒かったので、祥月命日には間に合いませんでしたが 花が大好きだった母の「あら~きれいやね~」という声が 聞こえてくるようです。 20年以上、命は土の中でずっと育まれていたのかと思うと めげている場合でもないか・・・と。 母からのメッセージなのかなぁ・・・とも。 ということで、明日からまた頑張れます。 人生、母と共に過ごした時間より、 母が居なくなってからの時間の方が長くなってしまいましたが いつも、どこかで、やっぱり一緒なのでしょうね。
人智を越えた今回の災害。 想定外の数々。 もともと、自然とは、人智を越えるもの。 日本人はそれを観じることが得意で、 自然への敬意、畏怖とともに文化を作ってきました。 すべてに「命」や「力」を観じ おかげさまを抱きながら、共生の道を歩いていました。 それを、いつしか「支配」できると錯覚した。 科学技術の発達と共に、人間に錯覚が。。。。 そして、環境を、「与えられるもの」から「作るもの」に変えてしまった。 それと同時に与えられている感謝、おかげさまも薄れ 目の前の行いが、どんな影響を拡大させていくのかを 精確に感じることができなくなった。 多くの「人ごと」を生み ひたすら目の前のことに執着していく時間。 原発に想定外なんて許されるはずがない。 プルトニウムの半減期は2万4千年。 自然界に無いものですから 自然界に活かされる生体が影響を受けないはずがありません。 それなのに、経済活動を行うためには必要だと進めてきた私たち。 万一の怖さを知りながらも、仕方ないと見て見ぬふりしてきた私たち。 全員が破壊者の一員です。 厳しいかもしれませんが、すべてが加害者です。 私も、あなたも。 特に被災地でない私たちが。 その恩恵を受けて生活を続けてきたのですから。 もし、本当に自然と共振していたら、 自然を共感していたら その怖さも、もっともっと本当に観じていたら、行動が変わっていたはず。 それを止めているのは、「エゴ」なのです。 目先の利益、目先の便利さを優先させた「エゴ」 不安と触れたくないと思う「エゴ」 今ここから、新しい時間を! ひとり一人がもう一度、無になって どんな生き方をするかを考えるとき。 もう一度、無になって どんな社会を創りたいか思い描くとき。 でも・・・ だって・・・ は一旦横に置いて 純粋な志を立てるとき。 その想念が、何かを変えていく力を持つことを 私たちは、今までたくさん経験してきたはず。 ただ、願うではなくて 差し出す行動も必要です。 被災地への支援は、 自分たちのこれまでの生き様の懺悔としてなのです。 自分たちの生き様によって、消えた多くの命。 危機と直面している多くの命。 小さすぎる一歩と悲観せず しっかりと進みましょう! 大切な一歩です。
上も下も無ければ、善も悪もない。それが宇宙だとよく言われます。 そんな大きな概念の中で 何も良いものはなく、 何も悪いものはないとわかり始めると ターニングポイントが訪れます。 転換 パラダイムシフト すると、意味を失う物がたくさん現われます。 逆に、とても意味のあるものもたくさん現われます。 その中で、美しく生きる姿が見えていきます。 今日、選んだ一枚のタロット。
種は、この先なにが起こることになるのか知ることはできません。 自分が美しい花になる力を秘めていることなど、 信じることすらできないでいます。 その旅は長く、道はわからず、なにひとつ保証もなく。 だから、旅に出ないほうが安全なのは決まっています。 硬い核のなかに秘められて安全ですから。 でも、種はチャレンジし、努力します。 安全だった硬い殻を落とし、動きはじめます。 それは戦いの始まり。 土、石、岩との格闘。 芽が出始めの頃はもっと多くの危険にサラされます。 それでも、芽は未知なるものへと、太陽へと、光の源へと、 どこともわからないまま、なぜかもわからないまま、進みはじめます。 勇気と共に。
とても困難な状況に直面したとき、私たちには選択の余地があることを伝えています。 腹を立て、苛酷な運命をほかのせいにすることもできますし、 その挑戦を正面から受け止めて、成長することもできます。 この花は、その道を私たちに示しています。 自らの情熱によって暗闇から抜け出し、光へと導かれていくということを。 いくつもの挑戦に抵抗したり、その挑戦を避けたり拒絶しようとしたりしても、 なんの意味もありません。 種は種であることを捨てるから美しい花を咲かせることができます。 どの種も花になることになっている それが自然の摂理であれば、 私たちはその勇気を持たなければなりません。 勇気をもって進みましょう。 進化への道。
ニュージーランドの地震で被災された皆さん 無事でありますように。。。。と祈るばかりです。 ホントに。。。 北日本新聞のウェブンには、 保護者の方のお写真も掲載されていますが どんなにか、どんなにかご心配なさっていることでしょう。 胸が痛みます。 自分も娘を海外に出して セメスター(学期)ごとの往き来をするたびに ひたすら無事を祈った4年間だっただけに こみ上げるものがあります。 大学寮に到着したという連絡があるまで 毎回、気が気ではなく、 でも、余計な心配がまた心配を呼ぶからと 心配だけど、心配しない修行みたいな時間に ずいぶん鍛えられました。 今、もう一度・・・と言われると ちょっと耐えられないかもしれません。。。 そう思うと、「慣れ」とは凄いなぁ。。。とも思います。 そんな親の思いとは別に 娘の口癖はこうでした。 「だって、日本に居ても事故に遭うときは遭うんだよ!」 そうは言われても、やっぱり心配は心配なものです。 とにかく、 一刻も早く、全員の無事が確認されますように。。。
今日はいいお天気でしたね! この青空は2ヶ月ぶりだそうですよ。 そんなになりますか。。。。という感じですね。 写真は今日訪れた病院の窓からの風景です。 二上山がくっきり見えます。 6年間通った小学校も 3年間通った中学校も見えていました。 目立つのは、ニトリとヤマダ電機の看板。 でも、それ以外は、大して変わっていないようにも思える風景。 不思議な感じ。。。 小学校や中学校で一緒だった友人達 今の私を想像した人はいなかったと思います。 自分自身でさえも、想像していません。 かといって、 別の想像があったわけでもありません。 でも、思い返してみると 悲しかったこと、辛かったこと、大変だったこと それらは、何か大きな「目的」みたいなものがあって そのための出来事だったに過ぎないと思えます。 うまくなっているわね。。。と思います。 だから、今、悲しいこと、辛いこと、大変なことも きっと、その同じ流れの上のことなんだろうな・・・とも思います。 と思っても、それらが消えるわけではないのですがね 笑 人は皆、「カルマ」と言われる宿題みたいなものを持って生まれます。 人生の時間は、その宿題をこなすための時間。 出会う人、経験、すべてです。 絶妙な仕組みの中で動いていることなんだと思います。 そして、その仕組みのもとを辿って、辿っていくと 大きな銀河の流れにたどり着くのでしょうね。 美しい銀河のような時間の流れを。。。。