昨日は、一日中、涙の止まらない日でしたが 今日は、復活。 流れる涙と共に、たくさんのメッセージをいただきました。 今日は、いつものように、夢で見たとおり・・・というのが ポツン ポツンと現われて、いつもの調子を取り戻した・・・という感じです。笑 そして、今日は、母の月命日。 月に一度、その命の大きさを改めて感じる日です。 46年の生涯でしたが、その命は、大きく 私の人生よりも遙かにたくさん笑い、そして、人を笑わせていました。 きっと、誰にも「大きな命」があって、誰もが「かけがえのない命」をもっているのですが、 その大きくかけがえのない命が、あっという間に消えていくニュース。 インフルエンザです。
アマゾン開発を巡って、先住民と政府との間で衝突があり、死者が出たとのニュース。 森林伐採と石油開発の「権利」 土地も森林もその地中に埋まっている資源は、いつの時代も争いの種。 宇宙から見ると、地球にはどこにも境界線はなく、一つの惑星「地球」ですが 地球儀には無数の境界線が引かれています。
富山市が目指している「コンパクトなまちづくり」 私が生まれ育った「町」は、まさしくそれでした。 端から端まで歩いても、5分もかからない通りに、生活に必要なものはすべて揃っていました。 電気屋、ふすま屋、病院、薬局、大工、床屋、酒屋、八百屋、お肉屋、 美容院、時計屋、せともの屋、米屋、タバコ屋、魚屋、衣料品店、履き物屋、 文房具屋、自転車屋、畳屋、そして、路地に入ると、幼稚園、お風呂屋、たこやき屋・・・・ 生活のすべては、このほとんど徒歩5分以内でまかなえていました。 今、思うと、そんなエコは無い・・・という感じですね。笑 そして、成長に合わせて利用するお店が変わるので、 ある意味、それぞれのお店に対しての「あこがれ」がありました。 皆さんはご存知ですか?「歌の町」という歌。 歌が大好きで、一日中、鼻歌をうたっていた母が 娘も洗脳するかのように、毎日、毎日、飽きもせず、私に聞かせていた児童唱歌集 (そのころはペラペラのクリアファイルみたいな素材でできたレコードでした 笑) その中にも、入っていた曲。 ♪ よい子が住んでる よい町は 楽しい 楽しい 歌の町 花屋はチョキチョキ チョッキンナ かじ屋はカチカチ カッチンナ
よい子が集まる よいところ 楽しい 楽しい 歌の町 すずめはチュンチュン チュンチュクチュン ひごいはパクパク パックリコ
よい子が元気に 遊んでる 楽しい 楽しい 歌の町 荷馬車はカタカタ カッタリコ 自転車チリリン チリリンリン
よい子のおうちが 並んでる 楽しい 楽しい 歌の町 電気はピカピカ ピッカリコ 時計はチクタク ボンボンボン ♪ この歌が大~好きで、なぜ、好きだったかというと この歌をうたうたびに、目の前に「オレンジ」や「黄色」が見え、 そして笑顔のお姉さんやお兄さんがいっぱい見えたからです。 そして、「町」はあこがれになっていったのです。 「街」って、「あこがれ」をもってもらうこと、大切だと思うんですね。 物質的な流行の提供だけでなく、生き様みたいなものも提供する「場」だと思うんですね。 今は、エコライフというものも、大切になった時代ですが、 その面でも先ゆく姿を提供できる「場」を創っていけたらいいなぁ・・・・・と思います。 照明の明るさだけじゃなくて、 人が放つ「明るさ」を感じないと、足だって向きませんよね。 楽しそうじゃなければ、遠のきますよね。 今は、「エコ」の街じゃなくて、「エゴ」の街・・・ 街のところどころで、見かけるどんより暗~い空気 払拭したいですが・・・。 まちなかの情報は、トヤマグで・・・・。
先日、「賑わいのある中心市街地をめざして」 ~街の活性化に今不足しているものは?~ に参加してきました。 講師は、まちづくり長野のタウンマネージャー越原照夫さん。 イオン㈱)を退職後、長野市中心市街地活性化協議会タウンマネージャーとして 長野市のまちづくりに活躍中の方です。 皆さん、長野市というと何をイメージされますか? 私は、「善光寺」とたくさんの観光客でした。そう。富山よりもはるかに、 日常的に観光客で賑わっているようなイメージ。 でも、どの街にもにぎわい不足の悩みは尽きないようです。 善光寺は、裏手に広がっていた美しい蓮池を埋め立て、 すべて駐車場にして収益あげているらしいんですね。 私たちが参拝に行くと、やはり駐車場が広くて近いと嬉しかったりします。 でも、街全体を考えたとき・・・・・ 観光客は、裏から入り、裏から帰るので、門前にある仁王門すら知らない人が多く 駅から善光寺までの商店街通りには、人が歩かず・・・・・・。 街のイベントなどにも、積極的ではなく、 さらに、次々と裏手の土地を買収し、駐車場を広げているとこのことでした。 「善光寺裏の蓮池を復活させたい」ともおっしゃっていました。 「私が子供の頃は、本当にきれいな蓮池が広がっていたんですよ・・・」と おっしゃった瞬間が、越原さんの顔は一番輝いていました。素敵ですね・・・。 その綺麗さがいかようなのか、それを多くの人にも見せてあげたい・・・という思いが 溢れていたからでしょうか・・・・・。 自然な姿や自然な時間、本来の姿を取り戻すために一生懸命取り組んでいる人を見ると 全身全霊、身を捧げたくなる藤田ですが 笑 一番後ろの席で、めいいっぱい心の中で拍手をしていました 笑 善光寺事務局担当者の意識改革が必要! 「みんながあっての善光寺だということを知って欲しい」ということでしたが、 これは、お寺だけの問題でしょうか? もちろん、お寺の人たちの意識改革は必要ですが、 参拝する私たち、一人ひとりの意識改革も必要です。 自分勝手な便利さや合理性や利益ばかりに気をとられていると 結果、自己破壊的な時間が訪れること 全体がロハス的な発展を遂げないことを、しっかり洞察できるような「目」が必要です。 富山にも同じパターンありますね。 大きな百貨店と隣接して作った駐車場。便利だから・・・そこへしか行かない。 歩けない方への配慮は、とても大切ですが、 歩けるのに歩かない人への配慮は必要なのでしょうか? 歩かないけど歩いてきたというような現実を生み出すくらいの工夫をすることが優先では? だって、人間として、本当に歩かない方がいいのでしょうか? それが幸せ? 越原さんは、「駐車場は無くてもいい!人が来ないのは駐車場のせいじゃない!」と 言い切っておられましたが、 富山も、一つひとつのお店が、街の変化に伴う変容を遂げないまま 便利な駐車場ができてしまって、ますます、自分の首を絞めた・・・という感じです。 人間は歩いた方がいい人の方が多いんです。 だったら、楽しんで歩けるような環境を整えるべきです。 お店や商品の変化を楽しめたり、季節の移ろいを楽しめたり・・・・ 何年たっても同じ・・・人の意識も、商品まで同じで変化がない・・・ というのが多い「富山の街」 そりゃ、人も来ないでしょう。 でも、それを変えるのは、お店の人だけでなく、行政だけでもなく、 足を運ぶあなた、足を運ばないあなた自身もなのです。 富山にもタウンマネージャーさんがいらっしゃいます。 トヤマグ・コムクレープ・(株)フレーズの長谷川さん。 さらに、熱くできるのは、みなさん一人ひとりにかかっているのかも 笑 そして、隠れタウンマネージャーを掘り出せるのも、みなさん一人ひとりにかかっているのかも。 いつしか、目先のことしか考えられない人間になってしまった私たち。 でも、一人ひとりが、自分にできることいっぱいあるんです。 離れていても、善光寺裏に蓮池を復活させるための行いできるんです。 近くの富山を活性するための行いできるんです。 楽しんで、参加してみませんか?自分のためにでいいですから。 泥の中からきれいな蓮の花を咲かせられるのは、私たち一人ひとりの意識ですよ☆ ~撮影:福井はす祭り~
21万キロ走った車が修理から戻ってきました。 そろそろ、買い替え時期なのはよーくわかっていますが 「車を買う」というところにスイッチも入らないし、 「これ!」と思うような車にも出会わないし・・・・。 30万キロまで行けそうかな・・・・。笑 ただ、この車に乗り始めたのが10年前。 その頃は、まだ、今のように「エコ」がそれほど騒がれていない時でしたが 今じゃ、もう、こんなに燃費の悪い車は時代遅れですね。笑; 1リッター6キロ走っているのかなぁ・・・;そう言う意味では、とっくに買い替え時期です。 もともと、車に乗るのが大好きで、何時間運転しても苦にならない人・・・。 きっと、子供の頃はよく富士や鈴鹿のサーキット場に連れられて、 1日レースを見ることも多かったからかもしれません。 お気に入りの三重の鈴鹿にある神社へも、朝10時頃、ふっと思い立って 車を走らせ、しばし、木立に癒されてまた、戻ってくる・・・なんてこと、よくやってました。 が、お店を持ってからは忙しくってそんな時間もありませんし、 ガソリンのことや、エコのことを思えば、考えてしまいますしね。 今は、富山の空から思いを馳せることで、十分というところです。 ですから、もっぱら、通勤に使うばかりの車。 でも、その約40分の時間はちょっとした瞑想時間です。 それが、不思議と、色々なことを思いつき、色々なことの答えが決まっていく時間。 40分の間に、次々と収まるところに収まっていく・・・という感じです。 家からお店までは、1回しか交差点を曲がらないホントに一本道。 その直線が、瞑想にはいいのかもしれませんね。 そして、先日のニュース トヨタが16,000人の契約打ち切り・・・ 人ごとではなく、それは、私たちがテクノスフィアとの契約をうち切られたということ。 もう、この物質文明の中に私たちが真に満たされる居場所はなく、 新しく始まる文明、新しい価値観へとシフトしていく時の現れ。 機械文明の象徴みたいな産物「車」とも、 新しい価値観をもっておつき合いしていく時が来た ・・・・ 便利さや合理性、スピードだけを追い続ける文明は終わりです。 お疲れさま、ありがとうをこめて、もうしばらく大切に乗りたいと思います。